解剖学より
古典力学。
Classical Mechanics
フィジカルとは身体ではなく物理のこと。
私たちを武術と達人につなぐものは解剖学的
知識ではありません。身体操作や脱力
トレーニングでもなくシンプルな物理学です。
特に古典力学で武技を解明していくこと
こそが大切なのです。
古典力学とは重力、作用反作用、床反力、
慣性などの力学のことです。
フィジカルが強くなるとは肉体が強くなる意味
ではありません。フィジカルとは物理という意味です。
物理的に、力学的に身体を使いこなすことなのです。
「ニュートン力学などの自然界に
無限に存在するエネルギーを利用する」
これこそ、自然の力を利用するという
意味なのです。
ヒトの能力は物理に気づいたこと。
ヒトが道具を使い始めたその理由は
パワーを超える力に気づいたからです。
それがフォースと言われる外力エネルギーです。
自分自身の出力(ヒトであれば筋力)で
生み出すエネルギーをパワーと呼びます。
このパワーはバイオメカニクス
(生体力学)では内力と呼びます。
ヒトはこの内力ではなくフォースという
外力に気づきました。
外力とは筋力以外の物理法則によって
発生させたエネルギーのことです。
固いところに落としたり、壁にぶつけたり
したほうが早いと気づいたのです。
ヒトは筋力以外のエネルギーがモノを通して
生まれることを知ったのです。
モノが自分を超える力をもっていた時、
多くの他の動物はそれを恐れました。
ヒトはそれを素晴らしいアイデアとして
採用しました。「フォースは身体を通り
抜けてモノに伝達する」このことに
気づいたヒトが生みだしたものが武器
という概念です。この武器を通して
発生するフォースが武術のルーツです。
武器のように骨を使い、内臓を使う。
脱力も身体操作も結局はフォースありき
なのです。フォースを利用するために
脱力が必要だということです。
フォースを利用すれば身体操作は
自動化するのです。
武術は身体を記号化して扱う。
物理を論文で証明すると評価されるのは
イギリスから始まりました。
ヨーロッパでは言語化した原理は
権威をもち評価されたのです。
アジアではこうした論理的思考体系は
秘伝であり極意書でした。
論文で記号化するかわりに型という
体術に圧縮されました。
また強奪を想定して一子相伝や
暗号化されていたのです。
ヨーロッパは極意(物理:神の証明)を
大学で論文として発表したのです。
アジアは国家存続のため極意は
身体で舞う儀式(秘儀)にしたのです。
ただしこれは自分の体を使って証明問題を
解くのではありません。
物理とは現象なので「自我」も「行為」も
本当は必要ありません。
現象に必要な役割を演じきることで
自然にそうなるだけなのです。
行為を行うのではなく、儀式通りに振る
舞うだけで現象は起きます。
型や套路は科学的アプローチなのです。
儀式を演じるとは記号化して物理法則を
完成させるということです。
科学として現象化させるには工夫すら
入り込む余地はありません。
武術が姿勢に厳しく儀式的である理由は、
それが物理証明を解く方法だからです。
必要な姿勢をとって役割をまっとうすると
自然と現象化するのです。
自分が何かすると結果がでるというのは
本当の儀式ではありません。
頑張ると結果が出ると思っているのは
間違いだと言うことです。
再現性とは原理原則に忠実であるかどうかです。
儀式通りに形式的に振る舞うことで現象が
起きるのです。武術は身体を徹底的にモノ
(物理)として扱います。そうすることで
フォース(神)が発生するからです。
姿勢を通してフォースを
手に入れている。
名人や達人は解剖学的知識よりも
軸や丹田を大切にしています。
そして解剖学的知識よりも姿勢調整
(アライメント)を気にします。
もちろん、その理由はそれが物理法則と
直結しているからです。
重心、モーメント、床反力という
力学的作用を達人は計算します。
力学的作用を最大限に使うのは
姿勢次第だとわかっているのです。
達人が感じているのはボディーでは
なくフィジカルです。
達人が感じているのは力みや
脱力ではありません。
パワーやリラックスを感じていないのです。
姿勢を通してフォース(物理)を
感じています。
姿勢が変われば物理現象は変わります。
物理が変われば力も変わります。
フォーム(姿勢)が変われば
フォースが変わるということです。
フォームが崩れるとフォースが減ります。
フォースが減ればパワーは必要に
なってしまうのです。
自然体を
言語化。
SECRET PRINCIPLE COMBAT
運動を言葉にすると擬音になる。
達人は「身体が勝手にそうなる」と言います。
これは繰り返された動作が小脳にストック
されていると言われています。
実は達人の動作が脳内再現によって起こる
という説明は不十分と言えます。
達人が「自然と身体が動く」のは、
受動的運動だからです。
彼らは文字通り自分のパワーでは動いていません。
落下、遠心力、惰性(慣性)などのフォースで
動かされるのです。フォースが達人の身体を
自動的に運んでいるだけなのです。
「グーン。グッ。パーン」といった擬音を
一流や達人が好む理由も同じです。
「行為」ではなく物理現象としての
「状態」を表現しているのです。
ブランコやシーソーの要領で状態の
変化を言語化します。達人は落ちる、跳ねる、
振り回されるといった状態を感じています。
動きではなく現象を言葉にすると擬音に
なってしまうのです。彼らはブランコの
遊んでいる状態を主観で語っています。
もし現象を客観的に説明するとメカニクス的
になります。所詮、運動は物理現象です。
「いかに動くか」を探求してもそこに
答えはありません。「どう動かされるか」を
探求するメカニクス的思考が大切なのです。
達人は衝撃を感じている。
凡人は自分の力で動く感覚にフォーカスします。
達人は相手の力や自然の力に乗っかって動か
されます。彼らには自ら動く感覚がありません。
動かされる感覚のフィードバックを大切にして
いるのです。達人は物理現象を受容しています。
それは凡人が想像する以上に高いレベルでの
受容です。落下、衝突、拮抗、慣性という
衝撃を受け入れているのです。
衝撃とは英語ではインパクトのことです。
インパクトを自然にまかせているのです。
一流ほどインパクトのタイミングを
見逃しません。一流と達人はとても
インパクトに正確です。常日頃から身体に
入る衝撃を受け入れているからです。
身体を効率的に使うとは圧力や衝突を
避けることではありません。圧力や衝突
からエネルギーを利用することなのです。
高齢で足腰の悪い人は靴がぶかぶかです。
歩きづらくても楽で接地面が広い安定を
優先するからです。膝と腰を曲げてすり足
で歩く高齢者は衝撃を避けているのです。
落下衝撃が怖いから広く低く吸収する姿勢です。
すでに曲がった姿勢ではいざという時の
バネはありません。衝突を否定していると
自然を味方にできません。
衝撃はエネルギーであり、衝撃が武器なのです。
自然と調和するとは衝撃と仲良くすることです。
自然はおだやかではありません。
自然は自分勝手で融通が効きません。
インパクトと仲良くするのが自然体なのです。
フォース・コンセプト。
すべての教師からフォースが学べるわけではありません。
すべての団体からフォースが学べるわけではありません。
フォースはすべての人の可能性を開く希望の鍵です。
それでもフォースは学べる環境はまだまだ少ないのです。
YSPCは武術を通してフォースを最優先で学べる環境です。
YSPCでは物理の世界を直感的に体験的に学びます。
武技を通してPowerを手放しForceを体験的に学ぶのです。
武を通してしか信じることができないForceがあります。
Forceが理解できれば武術はもっと理解が進みます。
自分を通して宇宙の偉大な法則を体現できるのです。
Foundationプログラムチケット42,000円(税込み)
希望日が決まりましたら申込みフォームからお申し込みください。>